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重光 葵
1887年(明治20年)7月29日大分県大野郡三重町市場(現多田銃砲火薬店)にて大野郡長の次男として生まれる。
31年に中華公使となり、32年の上海事変停戦協定を成功させ、直後暴漢の爆弾により右足切断する。
その後、隻脚の外交官として活躍する。公式の場では重さ10kgあまりの義足を着用した。
1945年(昭和20年)9月2日、東京湾上で米国の戦艦ミズーリ号甲板上でおこなわれた、連合国への降伏文書調印において、日本政府全権として梅津美治郎参謀総長(軍全権、中津市出身)とともに署名を行った。
戦後はA級戦犯として起訴され1951年に出獄後、改進党総裁・日本民主党副総裁を務めた。
1956年(昭和31年)12月18日、国連本部で日本代表として有名な東西の架け橋演説を行う。
1957年(昭和32年)1月26日、神奈川県湯河原の別荘で死去。69歳。

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